8月27日(水)曇り空の下、参加者22名を乗せたバスは東部公民館を一路目的地に向け出発しました。
ピースおおさか(大阪国際平和センター)では、大阪空襲の悲惨な実態を目の当たりにした85才の語り部久保みや子さんにお話しを聞きました。
第二次世界大戦の末期、大阪は50回にも及ぶ空襲により街一面が焼け野原となり、人々は戦火の中を必死に逃げまどいましたが多くの尊い命が奪われました。三重県も例外ではなく、四日市、津、鈴鹿も空襲にあい3600名が犠牲となり、伊賀もまた大きな被害を受けたのです。
展示されている1トン爆弾は、人の背丈をはるかに越える大きさで、その威力を想像するに余りありました。出征兵士の家に張られた「名誉の家」のプレート見る時、やるせない思いが込みあげ先人への哀悼と共に恒久平和を願わずにはいられませんでした。
研修にご参加頂きました皆さまありがとうございました。 ピースおおさか
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